別府 観光 人気ランキング

レビュー 別府一番の美味いもん
投票 ランキング投票

大分県別府市の人気ランキング

を掲載しているサイトです。温泉、お土産、釣り、お酒、etc...
別府観光別府 観光大分県別府市に関する情報サイト。
お問い合わせは専用フォームよりお願いします。
トップ > 歴史を知る

歴史
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より抜粋
古代の「豊後国風土記」や「万葉集」には、現在の血の池地獄にあたる「赤湯の泉」や「玖倍理(くべり)湯の井」等についての記載があり、当時からこの地に温泉があることは広く知られていたが、荒地や沼地になっており、整備されていなかった。
別府温泉と柴石温泉は古くから湯治場として利用されていた。
鉄輪温泉と浜脇温泉は鎌倉時代には湯治場があった。
江戸時代には街道が整備され、瀬戸内各方面からは湯治舟が集まり、特に浜脇と別府は温泉番付では必ず上位に登場するなど、次第に温泉街が形成され庶民の温泉湯治が一般的になった。
また、湯治生活の必需品として炊事に用いる笊などの竹細工や、櫛などのつげ細工の生産がこれらの温泉街で盛んとなり、工芸品としても発達した別府竹細工は国の伝統的工芸品にも指定されている。
山は富士 海は瀬戸内 湯は別府
明治時代に入り、1871年(明治4年5月)別府港が完成し、1873年(明治6年5月)大阪との航路が結ばれた事により別府はしだいに人々が集まり温泉都市へと発展した。
1900年(明治33年5月)日本で5番目の開業となる路面電車が走り、またその運行の為に日本で2番目となる火力発電所が設置され、その電力で街灯も整備されると別府の中心部流川界隈は夜も不夜城の賑わいを見せるようになり、柳原白蓮ゆかりの赤銅御殿や麻生別荘など財界の大物の別荘も多く建てられた。
次第に発展を見せた別府には、海・陸軍の病院(現・国立別府病院、国立西別府病院)や、九州大学の温泉治療学研究所(現・生体防御医学研究所 別府地区)と付属病院(現・九州大学病院別府先進医療センター)など、豊富な温泉資源を医療に活かす施設も次々に建てられた。
そして、別府観光の父「油屋熊八」により1928年(昭和3年1月)には別府地獄めぐり遊覧バスが運行され、さらにそのアイデアあふれる宣伝手法により別府の名前は温泉マークとともに全国へと一気に広まり、1937年(昭和12年3月)には別府国際温泉観光大博覧会が開催された。
高度経済成長と観光ブームの到来
戦災に遭う事無く終戦を迎えた別府には戦後進駐軍が駐留し、高度経済成長期には新婚旅行や修学旅行客などで最盛期を迎えた。
1950年(昭和25年)には国際観光文化都市の第1号として国際観光温泉文化都市に指定されると、1957年(昭和32年)に別府温泉観光産業大博覧会が開催され、別府タワーや、鶴見岳の別府ロープウェイ、九州横断道路(やまなみハイウェイ)が開業するなど観光施設の開発も相次ぎ、宿泊施設も急激に増大していった。
そして、鉄輪、明礬、柴石の各温泉は1985年(昭和60年)3月19日に国民保養温泉地に指定されているが、そんな観光ブームの波の去った後の別府は、観光客も減少傾向にあり、施設の老朽化も進んでいた。
国民の余興と娯楽の多様化も原因の一つであるが、ボーリングによって各地に様々な温泉施設が誕生したことも影響する。
しかしながらこれだけの温泉群が密集するのは、全国的にも珍しい地区であり、平成になって韓国などの日本国外からの利用客が増加した。
豊かな温泉資源活用の歴史
江戸時代、幕府が明礬(湯の花)の生産を独占的におこなっていた別府では、1925年(大正14年)には日本で最初の地熱発電がおこなわれ、戦前は医療へも温泉が役立てられ、戦後になっても温泉資源の活用に多角的に取り組んできた。
1952年(昭和24年4月)に設立された大分県温泉熱利用農業研究所(現・花き研究所)では、野菜・花きの温泉熱利用による栽培、育種の研究が行われ、その他にも温泉による魚の養殖や、杉乃井ホテルでは消費電力の約半分を敷地内の地熱発電でまかなっている。
最近では別府の多彩な泉質の源泉から取れる色とりどりの温泉泥の利用を、大分大学医学部、広島大学、日本文理大学、パドバ大学(イタリア)、大分県産業科学技術センターなどが共同で研究し、温泉泥美容ファンゴティカが開発されるなどしている。
そして、このように温泉資源の利活用が広範囲に及ぶ別府では、古くから上総掘りによる温泉掘削技術も発達し、現在も複数の温泉供給会社が源泉数、湧出量ともに日本一の別府温泉を支えている。
別府八湯をふたたび活性化
近年では、行政による老朽化していた市営温泉のリニューアルやまちなみ整備などの一方、別府アルゲリッチ音楽祭、別府八湯温泉道、別府八湯温泉泊覧会・オンパクなど地域の活性化を図るため豊富な資源や人材を活用した新しい模索や試みも行われている。
特に、オンパク的地域活性化の手法は、全国の同じような悩みを持つ観光地へと輸出され各地で成果を上げつつある。
そんな中、平成20年7月9日付で『別府市中心市街地活性化基本計画』が内閣総理大臣の認定を受けたことで、別府温泉(北浜)界隈では、現在、空き店舗を改装した交流施設「platform」がいくつか整備され、一部には別府竹細工の工房「platform 06・07」などの観光交流拠点が誕生している。
さらに、これらの「platform」をメイン会場に、2009年4月11日から6月14日までの間「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界」が開催されるなど、熊八から続く別府温泉におけるこれらの地域活性化事業の数々が、つねに注目に値するものであることは大変面白い。
このように温泉都市として発達し、戦災も免れた泉都別府には、京都大学の地球物理学研究所本館や、吉田鉄郎設計の別府市公会堂(現・別府市中央公民館)、別府郵便局電話事務室(現・別府市児童館)など、良質な近代建築が今も残っており、観光ボランティアガイドが町の魅力を紹介しながら案内する別府八湯ウォークが10コースあり、まち歩きツアーが毎日のように別府八湯のどこかで開催されている。
また、1995年にコンベンション施設ビーコンプラザを整備している別府は国際会議観光都市の認定も受けおり、2007年12月には第1回アジア太平洋水サミットが開催されている。